貴ノ岩の訴訟取り下げについて思うこと。

傷害を働いた日馬富士に対して訴訟を起こすことは決して悪いことではない。当然のことだ。訴訟を起こしたことによって貴ノ岩の家族にまでいろんな被害が及ぶことこそ問題でありそんなことにも考慮が及ばないモンゴルの国民性にこそ問題がある。

この事件の発端はそもそも日馬富士の傷害行為であり貴ノ岩を二場所休場させ十両にまで陥落させおまけに怪我の治療までさせた対価が僅か50万としか考えられない日馬富士にこそ問題がある。日馬富士の訴訟代理人もその50万で終わらせようとしており日馬富士に対してその金額の是非に対して全く何も言わなかったというのが同じ日本人としてまともな社会常識を

持っているのかどうか疑ってしまう。そのような非常織な弁護をすること自体弁護人としての

的確性を考えてしまう。

被害者貴ノ岩の親方であった貴乃花にも被害は及んでいる。

貴乃花部屋を潰してしまわ無ければならないほどに周囲から圧力を受け相撲協会を辞める至ったそもそもの原因は日馬富士の傷害事件である。

被害者および被害者の関係者にさまざまな被害を及ぼしたものが例え横綱であったとしてものうのうと後輩の指導ができるという相撲協会の体質も問題なのではないか?

まだ傷害の被害者とは何も問題解決していないんだよ。

こんなんでいいのか、相撲協会

日馬富士はモンゴルで学校を作ったらしいがこのような傷害事件を起こすような人間が作った学校でもモンゴルでは一体何も問題なく受け入れられるのであろうか?

傷害事件の被害者が加害者よりも不当に悪く扱われることに対して理事長の八角は何も感じないのであろうか? adb